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先日カワイピアノの方からお声掛け頂き、モスクワ音楽院教授パーヴェル・ネルセシアン(1964年ー)によるピアノリサイタルに行ってきました。

彼はドレンスキー教授の下で研鑽を積み、現在は世界各国でコンサートやマスタークラスも開催しているそう。ルガンスキーやマツーエフもこのドレンスキー教授の門下生だったのですね。音楽関係に関しては詳しくないので、色々繋がってくると面白いです。

プログラムはベートヴェンの3大ソナタ、悲愴・月光・熱情でした。
1曲目に悲愴をもってくるのか!とドキドキ。情感豊かなロシア人ピアニスト特有のちょっとやり過ぎ感があまりなく、淡々としかしすっきりドラマチックで聴き入ってしまいました。

そしてアンコールが2曲。
アンコール最後の曲の時、パーヴェルさんが鍵盤に指を置いて1音を出した瞬間にぞわっとしました。その曲はボリショイ・バレエ学校時代、校内コンサートで低学年の生徒達によく踊られていた作品の曲でした。曲自体も踊りもとてもシンプルなのですが、いかにも学校の生徒らしい踊りでとても印象的なもの。
ロシアにいるとたまに耳にするのですが、誰の曲なんだろう・・・と思いつつ月日が経っていましたが、これはチャンス!と、今回お声掛け頂いたカワイピアノの方に確認。

早速ピアニストご本人にお尋ね頂いた所、アナトリー・リャードフМузыкальная табакерка (Вальс-шутка)/音楽のオルゴール(ふざけたワルツ)/The Music Snuffboxだということが分かりました!
*ネットでは音楽の玉手箱と訳されています。

そのバレエ学校の『人形の踊り』はこちら↓
見付けたのはワガノワ・バレエ学校のものです。(ボリショイ・バレエ学校時代に観ていたものはピアノ伴奏が殆どだったので、こちらはちょっと印象が違いますが^^)

リャードフはバレエ・リュスとも関わっていたのですね。『キキモーラ』(1916年初演)も彼の作曲でした。
しかしはじめディアギレフから作曲の依頼を受けた時は結局仕上げることが出来ず、代わりにストラヴィンスキーが『火の鳥』(1910)を提供したとか。裏にはそういう経緯があったとは・・・。いつの時代も土臭い人間模様が色々あるんですね。教科書などではさらりと史実にしか触れませんが、そのどこか一カ所について詳しく調べると、何かしらのドラマやエピソードがあるなとしみじみ思います。そのちょっとした運命のいたずら的な瞬間や隙間に、後世に残る作品が生み出されることもあります。本当に人生何が起こるか分からないという感じですね。

こちらリャードフに関しての番組(全てロシア語)

彼は才能豊かだったようですが、どうもなまけものだったようです。きっと憎めない性格だったんでしょうけど。
この番組でも「天才は1%のインスピレーションと99%の努力と良く言いますが、例外もあるようです・・・」と始まっていますし(笑)
残した曲は小作品や短い物が多く、交響曲等は長すぎて性格的に創るのが面倒だったのでしょうか。しかし広くロシアに根付いている曲が多いです。

ベートーヴェンのコンサートでしたが、ロシア人作曲家や曲目についても改めて知ることが出来て満足です。

・・・さて、話はコンサートに戻ります。

物腰の柔らかい、ぺこりと頭を下げる感じがちょっと女性的なパーヴェルさんには、このアンコール最後の曲が一番彼らしい曲だった気がしました。
色んなピアニストがアレンジしているようですが、彼の演奏はとっても繊細で澄んだ音が本当にオルゴールの様で、聴いている最中ずっと人形の踊りが頭の中で流れていました。
いつも思うことは、アンコールの曲こそ、実は演奏者が一番弾きたかった曲なのではないかと。コンサートが終わってほっとした状態で弾くからリラックスしていて良い演奏になるんでしょうけどね^^

ここ数ヶ月ベートーヴェンに(今更)はまっている自分的にもかなり嬉しいコンサートでした♪

 

 

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総合芸術としてのバレエ

舞台というものは演者たちだけでは成り立ちません。裏舞台で支えている多くの人々の尽力あってこそ表舞台がより引き立ちます。
建築・歴史・哲学・文学・音楽・美術・デザイン・踊り・歌、全てを包括しているのが劇場芸術です。
生活の中で芸術はなくても良いものかも知れません。しかしあるとより豊かになるものだと私は考えます。 人でしか紡ぐことの出来ない伝統の世界。色んな角度から眺めてみると、きっと新しい発見があるはずです。

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