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“無” は豊かさの原点

今日はスペインでは3賢者の聖書の物語を祝う日(Three Kings Day / Dia de los Reyes Magos)なのですね♪

3人の賢者の美しいカードを頂きました♡

2018年が明けてあっという間に1週間が経とうとしています。

寝正月だった人、お仕事に追われた人、家族や友人と密な時間を過ごした人、皆それぞれに満喫されたでしょうか。

ここ数年、モスクワの年末年始の装飾が煌びやかになり、また街並みが整備されるに従ってロシア人の生活様式がどんどん変化しているんだろうなと感じます。このスピード感は世界中同様かもしれませんね。
90年代の混乱期からすると、本当に全くの別世界です。

12月24日のボリショイ劇場

特に年末年始の装飾に関しては、ヨーロッパの真似をしようとして大分洗練されつつあります。が、何よりも土地が広いため全てが大きくなり“やり過ぎ感”が出ています。そうすると、どうしても野暮ったくなるのが関の山。
派手な色を好み「小さくまとまって小綺麗に」なんていう発想も概念もほぼないに等しい人たちなのでどうしても 
うーん・・・という感じ。
しかしそれを否定しているわけではなく、それがロシア人らしさ、広大な大陸の人たちらしさなのだろうなと思います。

ラッピングされてしまっているツム百貨店

このお正月は19世紀前後に活躍した指揮者及び音楽家をあれこれ調べていましたが、0を1にする作業の方が、1を10にする作業よりも何倍ものもがきや葛藤があるのだと改めて思いました。

無から有を生み出す力って、やはり並大抵のものではありません。しかしそれをやってのけた巨匠たち、そして才能を与えられたが故に苦しみも味わった音楽家たちの努力あってこそ、現在の芸術は人から人へ繋がって繋がって今に至っているのだと思います。何かしらの楽曲を生み出しても、その真価を理解し、また人々に受け入れられて初めて「作品」として世に残ります。たとえ素晴らしいものだったとしても、それを演奏する技術や理解力また意図を読み取る感性や忍耐力がなければ、永遠に世の中に残らない作品だってきっとあるはずです。そしてあったのだと思います。
これは音楽だけでなく文学も美術でもなんでも同様です。

しかし、有名な芸術作品だけでなく、私たちの生活にはそれこそ色んな美があふれています。

たとえば、手仕事による日用品を「用の美」とし、柳宗悦は “生活の中に美が宿る” と民藝運動を提唱しました。
当たり前にある日常の中に散りばめられているあたたかなものに目を向けています。
これはさらに言うと、物質的なものだけでなく自分たちの日々の生活の中にあるちょっとした出来事を愛しんだり、また自身の感性を信じてみることが原点なのではないか、なんて思います。

結局自分の好きなもの、何か心に触れるものが、自分の生活も人生も彩るのだと思います。

キラキラ

またキャンパスいっぱいの豪華さよりも、引き算や余白の美を尊ぶ日本画のように “ないところ” ーその余白にこそ想像や豊かさが含まれているのではないでしょうか。歌川広重などの浮世絵には余白から生まれる情景があります。

何かで埋めてしまうのではなく、その「ない」ことも、怖がらずに大事にしていけば良いのかもしれませんね。

胸のうずく旋律、ひと筆の傾き、言葉を紡ぐ音色
こういった無から有を生み出す人の感性が、人を感動させまた力づけます。

何も「ない」からこそ、無限なのだなと。

・・・なんて思った2018年の始まりでした。

モッフリぐっすり

では、良い週末を!

 

モノが壊れる時

モノが壊れる時が続いたことはありませんか?

私は昔、バレエ団を辞めて大検(高校卒業程度認定試験)の勉強をしている時から受験勉強中、どんどん立て続けに家電が壊れたことがありました。

洗濯機、電子レンジ、パソコン、コーヒーメーカーに電球が切れやすい、等々

自分から何か負のオーラでも出ているのか?とがっくりした覚えがあります。
(多分その通りで、相当追い詰められていたのだと思いますが)
洗濯機は気がついたら廊下中水浸しになっていたので夜な夜な拭き掃除をしました。

こういうのって、もしかしたら自分の身代わりになってくれているのかも知れません。
何か自分自身に起こることを、代わりにモノが受けてくれているというか。

昨年末も何だか続きました。
ちっぽけなことかも知れませんが、4年前にチェコで買ってからずっと毎日愛用していたお気に入りのマグカップを、朝コーヒーを煎れようと思って棚から出して置こうとした瞬間、一瞬手首の力が抜けて、まるで卵を割るかの様に机にゴンっとたたき付けてしまったんです。

ピシっというか、キユーン、というか、陶器に空気が入るみたいな音がしたような気が・・・

その予感は的中。見事に真っ直ぐのヒビが入っていました。
とにかくもの凄くショック。

さよならの前に、もふもふと

さよならの前に、もけもけと

この数日前に、1年くらい前に思い切ってえいっ!と買った時計をなくしてショックだったのですが、マグカップは時計よりも大きな打撃を受けました。大事なものって値段ではないのですね。
更にこの日の夜、いつもの定位置にあって、置いているのが分かっているはずのふぁーにゃのごはんの器も、何故だかすこーんと気持ち良く蹴っ飛ばしてしまい、破損。

驚いてわしっと床を踏みしめ、目をまん丸にして私を見上げていたふぁーにゃの姿がとても不憫でした。

注意力散漫と言ってしまえばその通りなのですが、何だか不思議な感じです。
いつも通りのことをしていたのに、何故だか力加減や感覚がずれる。ちょっと気持ちが途切れた瞬間、落としてしまったり壊したり、割ってしまったり・・・

しかしモノが壊れる時は、役割を終えた時。感謝して手放す時なんですね。
しっかり御礼を込めてさよならすれば良いのだと思います。そしたらきっとまた新しい出会いがやってきます。それに自分にとって大事なものを知るきっかけになってくれたりします。

民芸運動を始動した柳宗悦は、生活の中のものに美が宿るのだと、日常に使うものの美を見出しました。伝統工芸品でなくても自分が気に入って毎日使っているものって、やはり味が出てくるものです。

好きなものを慈しみながら毎日使って、日常に寄り添ってくれるものを大切にする。そうやって毎日を大事に過ごしていきたいなと思います。

年末、私だけでなくふぁーにゃもやらかしていました。ひっそり様子を見るの図

年末は私だけでなくふぁーにゃもやらかしていました。ひっそり様子を見るの図。どきどき