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夫婦のかたち。人と人の間で生きるということ

小林麻央さんについては、今日本のメディアで報道されています。

盛んに言われている悲しみの言葉ですが、
私は麻央さんはとても幸せな人生を歩まれたのではないかと感じています。
勿論、幼いお子さんを2人残して旅立たれること悔しくて悔しくてしょうがないことだと思います。
しかし、自分を生かした職業に就き、そこで心から愛せる男性と巡り合えて、彼を支えて、かけがえのない子宝にも恵まれて。
愛の言葉を残して旅立てるって、本当に、素敵なことです。
34年間の人生を彼女は精一杯歩んだのだと思います。それに短い・長いというのはないのではないでしょうか。

勿論、残された側の心痛を思うと胸が張り裂けそうです。

消化不可能な、押し寄せる自分の感情と向き合っていくしかないのですし。

死を受け入れていくことは、時間がかかります。
けれど時間をかけるしか、人の死を昇華する方法はないのではないかと思います。
闘病生活を傍らで支えてきた人たちには、少しずつ覚悟をする時間はあったとは思います。愛する人が苦しみに耐える姿を見るのは、辛い作業に違いありませんが…
けれども、そこに「いるか・いないか」という事実は全く異なり、不在は予想をはるかに超えたひりひりした感情を伴います。

ただそこに生きているだけで良いと言うことに気付かされます。
人の生ってそのようなものなのだと思います。

海老蔵さんは記者会見の翌日も舞台に立たれたとのこと。
役者という役割が、彼を支える柱になっていくのかも知れません。
舞台に立つことは、弔いの作業となっていくのかなと感じました。

家族、身近な人、周りの友人たち、また過去にひとときでも時間を共有した人たち、皆、元気に笑って幸せに生きていて欲しい。
そんなことを改めて考えさせられた報道でした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

怒涛の日々② ロシアらしさ満載の珍事

やっと少し落ち着いたのでここに綴れるのですが、2月末から本当に色々なことがありました。
一番の変化は引っ越しです。そこに至るのに、ある事件(?)が私を襲いました。
今回はちょっと長くなります。

では、ゆるりとお付き合いを

以前のアパートにはモスクワに戻った2011年から住んでおり、去年向かい側の広い方(2K)に引っ越すという移動はありましたがずっと同じ場所でした。
そして以前住んでいた小さい方(1K)の部屋は大家さんが売りに出し、新しい持ち主がリフォームを始めました。

そのリフォーム業者のおじさんは普段は好い人でしたが、年末のお休みあたりに酔っ払って部屋周辺をうろうろしていたというところから不穏な空気が漂い始めたのだと思います。

さて、同階には私が入居した当時から病気のお兄さん(昔兵役に行った時にいじめに逢い、精神的に病んで引きこもってしまったと聞いていました)が住んでいました。廊下ですれ違ってもちゃんと挨拶してくれており、私的には何も問題はありませんでした。このお兄さんの部屋は2Kの家で、一部屋を自分で使い、他の部分をグルジア人(ジョージアですね)家族に貸して食事の世話をしてもらいながら住んでいたんです。

しかしそのグルジア人一家がある時2・3ヶ月分の家賃を踏み倒して夜逃げ。食事に困ったお兄さんを他の住人が助けていましたが、それも限界となり、モスクワ市内に住む実の兄が呼び出され月に1度お金を持ってくるようになっていました。しかしその実の兄も姿を見せなくなり、食べ物に困ったお兄さんは家の周りにあるゴミ捨て場をあさるようになったんです。

そして生ゴミ以外のものも何でも拾ってくるようになり、どうやらとんでもない惨状の汚部屋となっていたようです。去年の秋頃からお兄さんの部屋の上下の住人がゴキブリなどの被害を管理人に出しており、年末に害虫駆除をしたところでした。私の家はお兄さんの斜め向かいで、お水や下水のパイプ、また通気口などは共有していなかったので被害がなかったのは不幸中の幸いです。

さて、年末にお兄さんにばったり会った時、なんと両目の上や顔中が殴られた青アザだらけでパンパンに腫れて、ボクサーの試合後のような顔になっていました。びっくりしすぎて言葉を失いました。実は前日廊下に赤い斑点がポチポチあったので、なんだろう?と訝っていたのですが、それはお兄さんの血だったようです…><

しかしその殴られた顔を見た数日後、お兄さんは清掃員の格好をし、雪かきの時期ということもあってスコップを持って外に出て行く姿を見かけるようになりました。そうです、仕事を見付けて外に出るようになったんです!不謹慎ですが、殴られたことによって目が覚めたのかしらと思いました。そして社会復帰出来て良かったと内心嬉しかったのは事実です。

しかし。。。

お給料を貰うようになると、彼はお酒を買うようになってしまいました。

2月のとある日、廊下で何か叫びながらドアをガンガン叩く男の人がいて、なんだろうと玄関に近づかないようにしていたら、隣のキャリアウーマンが何か怒鳴って怒っている声も聞こえ、これはおかしいと思い外に出ないようにしていました。

暫くすると、今度は私の家の玄関ノブをガチャガチャしてガンガンドアを叩き始めました。
もう動悸が止まらずどうしようと思っていましたが居留守状態でその日は乗り切りました。

夜中、今度は男女の2人組がやって来てその病気のお兄さんと何やら廊下で話す声が聞こえ、暫くするとお兄さんと一緒にどこかに消えて行きました。
そして朝方4時半頃、今後はピンポン攻撃に逢い、目が覚めてしまい不安で寝れないまま時間を過ごしました。

お願い寝させて

翌日、今度は前日よりももっと力一杯ドアをガンガン叩き、叫び、ドアノブが壊れるのではないかというくらいの勢いでをガチャガチャされたので、これはもう限界だと感じ、大家さんにすぐに来てもらいました。

「どこの誰だか分からないけど、とにかく男の人が廊下をうろうろしている」

と大家さんに伝えたものの、彼女が来て隣のキャリアウーマンとも話して明らかになったのは、なんと一連の物事全て、その病気のお兄さんの仕業だったのです。年末に殴られていたのはリフォーム業者のおじさんと(お互い)酔っぱらって絡み喧嘩してたので近隣の人が警察を呼んだとのこと。前夜の夜中に来た男女は警察機関の人たちだったらしく、警察に一旦彼を連れて行って朝方釈放したけれど、共同ドアの鍵をなくしたお兄さんが困って私やキャリアウーマンの部屋のピンポンを押しまくっていたそう。(ちなみにその時共同玄関は誰も閉めていなかったのですが・・・)

大家さんには、

「彼だから大丈夫よ。酔っ払っているだけだから」

なんて言われましたが、こっちの身にもなってよ、とがっくり。

彼女はそのお兄さんを昔から知っているので、知り合いだから大丈夫、という感覚だったのですね。
酔っ払っている彼に散々文句を言って帰って行きました。

しかしそれで収まるわけもなく逆効果だったようです。彼からすると私は外人で一人で住んでいての完全なる弱者だからか、攻撃しやすかったのかなと今では思います。更に私の住んでいた家は昔長いことおばあちゃん(大家さんのお母さん)がいて何かと彼を助けてあげていたので、お兄さんは助けない私に腹を立てていたのかも知れません。

 

さてその翌日、朝起きたら停電なのか電気が止まっていることに気付きました。ブレーカーを確認しても落ちてはおらず、どうしたものかと思ってキッチンに行ったら、スイッチも入れていない洗濯機から「トゥクトゥクトゥク」と変な音がしていました。何なんだろう?と点検している最中に、また玄関から「ドンドンドン」とものすごい音が…

もう駄目だと思い、再度大家さんに電話。

「とにかく玄関開けなければ大丈夫だから。電気は修理の人を自分で呼んで」

と。

がっくりして電話を切ったら、ブゥーンと冷蔵庫が動き出す音が一瞬し、電気が戻ったその瞬間、

「ボンッ!」

と洗濯機から音がしたと思ったら家中の電気がまた切れ、もうもうと黒い煙が洗濯機から出てくるではありませんか。

「!!」

なんてこったと驚き、ふぁーにゃを捕まえてカバンに突っ込み、身の回りの大事なものをカバンに詰めコートを着ながら大家さんに電話。

「洗濯機から黒煙が…」

「とにかく消防隊を呼びなさい!112よ!!!私も今向かうから!!」

ということで、「112」へ電話。

これは警察・救急・消防隊等を統括している番号で、オペレーターに繋がり指示に従って番号を入力したら希望の部署に繋がるというシステム。
オペレーターのお姉さんは終始冷静に質問をしてくれたので、こちらも落ち着いて状況を説明。

「火は出ていませんが、洗濯機から煙が出ています。」
「部屋が既に煙でいっぱいです」

など、今思うと私もかなり冷静に状況を説明し、間違うことなく住所も全て伝えていました。

「もう既に消防隊は出動したから、外に出て下さい」

と言われて出ようと玄関の除き穴を覗くと、スコップを持ったお兄さんが廊下をうろうろ・・・

後ろからは黒煙がどんどん迫って視界が霞む上にドアの向こうにはお兄さん。血の気がさーっと引く状況です。
もう本当に心臓に悪すぎました。

それを察したの?か、大家さんから電話があり

「他の部屋のおばあちゃんに電話したから、彼女の姿が見えたら外に出なさい」

と指示されていました。しかし待っても待ってもおばあちゃんは現れず。

そしてすぐにサイレンの音が近づいてきたので、お兄さんが部屋に入ったであろう瞬間に飛び出し、玄関の鍵をしっかり閉めて一気に駆け下り、消防隊員の方達を出迎え一緒に上がってきて貰いました。

すぐに消防隊員が部屋のあちこちを点検してくれました。結局原因は漏電からのショートだったようです。

箪笥のようなごつい消防隊員のお兄さん達は非常に頼もしく、しかもオペレーターの対応もとても早かったので、ロシアも中々ちゃんとしているのだなぁなんて、呑気にも感心してしまいました。

途中、パンツ一丁(!)のお兄さんが部屋から飛び出してきて、

「うちもー!うちもー!」と叫んできました。どうやら彼の部屋でも煙が出ていたようです。

呆れ顔になった消防隊員の1人がお兄さんの部屋に向かいましたが、首を振りながら戻って来て一言。

「あの家でもし今回みたいなことが起こったら、大惨事になるよ」

と。

そこに大家さんが到着。
消防隊員も帰っていき、大家さんと2人掃除をして居間に移動して電気の修理工の方を待っていたその矢先

「どんどんどんっ!」

とまた激しく玄関を叩く音が。大家さんは目を丸くして私を見て

「今までずっとこうやって叩いてたの?」

と驚きを隠せない様子。
すぐに玄関を開け、何か用かと尋ねていたところ、しどろもどろに答えるお兄さんの声が。
お兄さんは既に大家さんも帰り、私一人になったのだと思ったようでした。

戻って来て大家さんは

「こんなことしてたとは。。全く分かってなかったわ」

と落胆していました。

そして次の瞬間、

「ぷしゅー!」

という音と共に、今度はテレビから(勿論スイッチはつけていません)白い煙が吹き出しました(!)
一気に焦げ臭くなり視界も真っ白。私も大家さんも驚いて急いで窓を開け、ふぁーにゃをまた再度カバンに突っ込み、家中のコンセントからプラグを引っこ抜いて回りました。

本当に何が起こったのか全く理解出来ず、二人して放心。

電気系統に何かしら問題がある、ということを大家さんも察したようでした。

アパートはソ連時代に建てられたもので、当時は各家庭で使用する電化製品なんて限られており、電気使用量もどの過程でもそれぞれほぼ同じくらいだったであろう基準で電気配線が設置されていたのだと思います。しかし時代は変わり、各部屋の持ち主がヨーロッパ風にリフォームしたり好きなようにコンセントを設置したりするようになったことで、予測される電気使用量をオーバーした電気がマンション一棟の中で使われるようになってきていたのだと思います。

配線が古いまま現代風の生活をしており、勿論定期的な点検はあったと思いたいですが、問題が起こっていなければ未然に防ぐ/対応する、という事はほぼ考えない「その時良ければ良い」というロシアの気質から全く気にされていなかったのではと考えられます。

今回で隣のキャリアウーマンの家ではWi−Fiのルーターが焦げていたそうです。

そして一時帰国を控えていた私は、取りあえず会社の大事な書類等燃えては困る物をまとめてふぁーにゃと共に友人宅へ避難。その後日本へ帰国して物理的には離れていても、どうも気持ちが落ち着かずにいました。

アパートはセンターから近い場所で大家さんもよく知っている人だし、家で仕事をすることの多い私にとってはリフォーム済みで綺麗な理想的な間取り。そして近所の人たちもよく知ってくれているしと、条件が良い物件だったので中々「引っ越す」という考えに至らなかったのですが、いつ火事が起こってもおかしくない家というのは、やはり宜しくありません。

そして何よりもお兄さんがいる限り、怖くて住めないとうのが正直な心境でした。

ちなみにこの小火騒ぎのあった日は、本来であれば仕事が入っていて朝から外に出なくては行けなかったのですが、前日にキャンセルになったのでたまたま家にいました。もし外出していたら本格的に火事になっていたかもと思うと本当に背筋が凍ります。
日本滞在中ふとした瞬間に「やはり引っ越そう」と思い立ち、友人にシェアを提案し物件検索をはじめました。
ちなみにロシアの物件サイトの1つで、有名なツィアンというサイトはこちら。とても便利です。

モスクワに戻る数日前、大家さんから

「彼はあの後留置所に入ってそろそろ出てくる予定。けど留守の間に彼の部屋を業者を呼んで一掃したの。家3軒分くらいのゴミだったのよ。ガスも水道も止めてあるから生活出来ない状況(後で分かったのは台所の水場もガス台も取っ払ってしまっていました)あと洗濯機も変えたし電気系統も修理したしもう大丈夫よ!」

*ちなみにロシアの家では家財道具は大家さんの持ちもので、家具や電化製品付きの家が殆どです
→以前書いた記事はこちらロシアの物件事情

大丈夫よ!と言われても勿論不安。更に丁度お兄さんが釈放される日が私のモスクワ戻りの日だと。しかも電気系統の修理前、今度はお隣のキャリアウーマン宅で冷蔵庫がショートし同階の他の家庭ではテレビが壊れたそう。

もう、こりゃいかん。移動の時期なのだなと。

そして東急ハンズで防犯ベルを買い、催涙スプレーはスーツケースの中に入れるのはアウトかもと思い断念。
とにかく万が一に備えてモスクワへ。

しかし、お兄さんは釈放された後行方不明になり、どこに行ったのか誰も分からない状況となりました。逆にいつ帰ってくるか分からないというのも恐怖で、共同玄関や廊下で音がする度にびくびくする毎日は本当にストレスでした。

友人とめぼしい物件をリストアップして月曜日から物件見学を開始。1日目に5件見て、2日目の1件目で、「おっ」と思う物件と出会い、夕方に決断。金曜日に契約書にサインし鍵を貰いました。

しかし、サインして意気揚々と帰宅したら、なんとお兄さんが帰ってきているではありませんか!

共同玄関の鍵を持っていなかったのか廊下で待っており、私を見て笑顔でご挨拶。彼を見た瞬間凍り付いてしまいました。契約出来たことから安心し油断していました。というのも、お兄さんが行方不明の間、帰宅の際は左手に防犯ベル、右手に大家さんの番号をいつでも押せるようにしていたのに、この時は防犯ベルも電話もカバンの中という失態。。

震える手を見られないよう冷静に振る舞い開けて、さっさと家の中に逃げ込みました。

そして即・大家さんに報告電話。
もう絶対にここには住めないと実感。

即荷物をまとめ、日曜日の夜中にまるで夜逃げの様に引っ越してきました。探し始めて1週間以内で全て完了です。今回お世話になった不動産屋のおじさんは無愛想でしたがとても親切で、部屋を見せて貰った時に「隣人トラブルがあって…」という話を少ししたので状況察してくれたのか、引越業者の手配や日時に関しても出来るだけ早くという条件で色々アレンジを手伝ってくれました。

割れ物?ふぁーにゃ。取り扱い注意

引越作業も友人が急遽手伝ってくれたり、新しい家具の買い出しや家の中の家具の移動等も知人が手伝ってくれたりし、色んな人達の助けがあったお陰様で作業が円滑に進みました。

 

後で聞いた話ですが、お兄さんの母親も生涯アル中だったようで、我慢出来なくなった兄は早くに家を出て、弟のお兄さんはずっとその母親と暮らしていたそう。父親はおらず、いつも違う男性が母親の元を訪ねてきていたそうです。そして普通の青年だったのに、兵役でのいじめにより精神を病んでしまい引きこもりは20年近く続いていたようです。

彼に寄り添って考えると、とても切ない状況ではあります。それでも、近隣に迷惑を掛けていたのは事実です。

私も少しトラウマが残ってしまい、新しい家に移っても共同玄関の音にかなり過敏になってしまっています。

ドアノブが、キー・・・とゆっくり下がり、ガンっとドアがなってまたドアノブがゆっくり上に戻る
というオカルト映画の様なシーンは、今でも忘れられません。

ロシアに限らず日本でも他の国でも、どこにいても危険なことは沢山あります。気を付けようのないことも起こります。しかしそればかり考えていても生活が暗くなる一方ですし、住環境を自分なりに整えるということはとても大切なことですね。

ロシアに暮らしていると色々理不尽な事が起こり憤慨することが良くありましたが、近年そういったトラブルは減って大分暮らし易くなってきたなぁとは思っていました。しかしここに来てアル中やらグルジア人一家の夜逃げ・漏電やらと、何だかザッツ・ロシアというネタ満載だったなーとしみじみ思います。

とにかく色んな意味で無事で良かったですが、こんなことも起こるのかと今は落ち着いて思えるので、ここに記しておくことにしました。

ま、取りあえず落ち着こか

終始一貫して何も変わらないふぁーさん。新しいお家にもあっという間に馴染みるんるんしてます。
呑気な子で本当に助かりました。