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バレエ留学を考える子どもたち、そして親御さんへ

先月、ボリショイ・バレエ学校の夏期講習会に参加する子供たちがバックステージツアーに参加してくれました。


レッスン初日の感想を聞くと、皆口を揃えて「楽しかった!」と頼もしくエネルギッシュな答えが返ってきました。
ワガノワ・バレエ学校への短期講習会の参加者も、今丁度ロシアを訪れている最中だと思います。

ロシアに限らず世界中のバレエ学校で現在沢山の日本人の子供たちが短期・長期留学で学んでおり、卒業後はその国に留まったり帰国して日本のバレエ団に入団したり、また教えの道に進んだりと、それぞれに頑張っていると思います。

今回のボリショイ・バレエ学校の講習会参加者の中にも、留学希望者がいました。

 

一生懸命頑張るということは その子の一生の財産になるということは間違いありません。

 

ただ、それだけでは叶わない世界もあるということを、酷なことですが知っておく必要もあるのではないかとも思います。

 

私自身、ボリショイ・バレエ学校在学中の17歳の時に両足首の手術をする大怪我をしました。
原因はロシア・メソッドが自分の骨格には合わなかった、の一言なのですが
その時はロシアに留学したのだからロシアのメソッドで学ぶのが当たり前だったので、どうにかその「メソッド」に身体を合わせるのに必死だったと思います。ただどこかで違和感を感じていましたが、それが何かなんて考えている暇もなく、日々のレッスンに追われていました。

もちろん、体のことを正しく理解して工夫が出来るだけの能力があれば、ロシアメソッドの良いとこ取りはできたのだと思います。しかし私自身そこまで理解が及ばず「頑張らなきゃ」のど根性物語でただただ必死だったように思います。(単純にいうとおバカさんでした)

しかし、手術しても同じように身体を使っていたら同じように痛む、という当たり前の事実にぶち当たり、なんとか学校は卒業したものの、身体を一から作り直すという作業を経てしか、プロのダンサーになることは出来ませんでした。逆に言うと、怪我のお陰でより多くのことを学べたとも言えます。

恥ずかしながら・・・字も汚なく誤字脱字だらけですが(^^;)東京でフリーターをしながらリハビリしていた時期のノート。毎度レッスン後、帰りの電車の中でその日に学んだリハビリ内容を懸命に書き留めていました

シンプルに言うと私は

・体型/体質がロシア・メソッドに全く合っていなかった

・留学という理想に憧れ、現実を見ていなかった

・自分自身を理解してなかった

と、身も蓋もありませんが、このような状況でした。

日本でだって学べることは沢山あります。留学だけが全てではないと思います。

 

以下、留学を考えている子ども達とその親御さんにちょっとしたヒントになればと思い綴ってみました。

 

自分をコントロールする力をつける

今ではネットで様々な情報が取捨選択出来ますし、留学前にある程度の知識を得ることは可能です。
しかし実際の生活はその場に行ってからしか分からないものですし、国が違うということは言葉も生活習慣も食生活も変わります。若いうちはすぐに馴染みますし慣れるのも早いので良いのですが、やはりチリも積もればということで、ズレを抱えたまま生活をすることにもなります。

人によって様々ですし、ズレに関しては誰に対しても当てはまるものではありません。
しかし、自分の身体と心と向き合うことは、バレエのレッスンを通して否応無く毎日行わなくてはならないこと。
それをコントロールするのは自分しかいません。これは全ての留学生に当てはまることです。

親御さんは何も出来ませんし手出しをしてはいけないものだと思います。
留学に出すと決めたなら、金銭的な援助、遠方からの精神的なサポートなど、見守ってあげることしかできないんです。
何か出来ると思う方がおこがましいということを覚えていた方が良いと思います。

「留学する」と決めた彼女たちの意志を信頼して、学校と先生とそしてお子さんに全てを委ねる。
信じてあげる姿勢が何よりも大きな支えになると思います。

ただ、何かあった時は全力でサポートしてあげてください。

 

バレエを通して自分の人生を豊かにする

留学はバレエだけを学ぶ機会ではありません。
日本との環境の差、舞台芸術の文化としての根付き方の違いを感じることも日常で体感することも異なっており
留学しないと分からないことというのは沢山あると思います。
文化や習慣の違いはバレエ留学に限らず語学留学でだってそうですね。

その環境に身を置いてみないと分からないこと、学べないことは沢山あります。

その機会をどのように位置づけするか、留学を終えてからしか気が付かないこともありますが、やはり、バレエリーナとして日本で食べていくことが難しいこと、「仕事」として理解してもらいにくい環境、踊るだけで生活出来る人は限られていること

そういう現実もちゃんと見据えた上で、どうしたいか・どうなりたいかを考えるべきです。

 

踊りの技術だけがバレエではない

またこの「踊るだけでは生活が出来ない」をピックアップして考えると

日本ではどうしても踊る技術ばかりが注目され、自分の習っているバレエの多面性を知る機会が案外少ないようにも思います。自分自身もそうでしたが、上手になることが優先事項だったので、とにかく練習の日々。しかし、舞台は結局、人間性が現れるもの。その人が何を学び感じ経験してきたか、感性がそのまま出てしまう場所です。

ダンサーになりたいのであれば、基本的な技術を身に付けるのは当たり前の前提ですが、自分の人としての人生も豊かにすることにも目を向けていく方が、結果、より深い表現の出来るダンサーになるのではないでしょうか。

ただダンサーになることだけに囚われるのも実は勿体無い話で、解剖学、音楽、作品を通して学ぶ文学の世界、衣装やデザイン、ヘアメイクなど多岐にわたる分野がバレエには組み込まれています。

子供たちにそういうことを知る機会を作ってあげて頂きたいですし、また親御さんご自身もバレエの多面性を知ることで自身の肥やしになるのではないかとも思います。

ボリショイ劇場美術部の尽力によって、今まで上演されてきた作品の情報、衣装や資料、また劇場そのものの歴史が守られています

 

一面性に捉われない広い視野を持つことの大切さ

バレエ留学をすることによっての最大限に学ばなければならないことは「広い視野を持つこと」これではないかと思います。親元を、そして日本の先生の元を離れ自分自身と向き合い続けていると、視野がどんどん狭くなり余裕のない一定期間を過ぎた後、段々と毎日を少しずつ楽しめる自分にも気付き始めます。

一方で余計な心配事や将来の不安なんかも出て来ることがあります。その時に、いかに目の前のことに集中出来るか。そう出来る自分を保てるかが大事だと思います。

日々いろんなことが起こります。思春期だと尚更、本当にいろんな思いに囚われます。

そんな時にバレエを通して自分が感じること、表現したいこと、そのために身につけるべき技術や強い身体、将来への信念などをとことん考えてみたら良いと思うんです。

そして一つ言えるのは、バレエを辞めることは決して逃げではないということ。違う選択をする勇気も持って良いということ。バレエを通して見える自分の姿を客観的に眺めてみることも、自分のために出来ることです。

 

 

終わりに・情操教育としてのバレエ

感情表現の豊かさ、物事への配慮、立ち振る舞い、バレエから学べることって踊り以外にも沢山あります。そしてそれを膨らませていくのは自分です。

なんでも好奇心を持って自分から動いてみる。そういう能動的な態度が自分自身を豊かにします。

どうか、一つのものに囚われ過ぎず、自分を歪んだ形で追い込み過ぎず、留学する・しない関係なく、与えられた場所と環境で精一杯、自分の出来ることを淡々と積み重ねて下さい。

挫折と思えるようなことも、それは自分の人生をよりよく生きるための一つの肥やしなのではと思います。大変だったことを乗り越えた後輩ちゃん。嬉しい再会がありました。

とことん自分と向き合って頑張っていたら、どんな形であれちゃんと道は拓けます。

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時代を超えた不朽の作品『白鳥の湖』1877年初演の失敗

7月末のシーズン・オフまでボリショイ劇場の特別展示室ではチャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』特集
をしております。

余談ですが『エフゲニー・オネーギン』というとこの3幕のポロネーズの音楽に聴き覚えのある方が多いと思います。

このオペラが初演されたのは1881年のボリショイ劇場。

「失敗するかも?」という疑念があったので、1881年の初演の時は舞台装置や衣装は作られず、いろんな作品から衣装や装置やらあれこれ持ち寄っての上演だったそうです。寄せ集めだったんですね。笑

 

なぜ「失敗するかも」と思われていたかというと、

 

プーシキンの小説の舞台化が可能か否かという疑問もあったのだと思いますが
4年前の1877年に、この作曲家の大作『白鳥の湖』がこの劇場でも初演された際、大失敗に終わっていたからです。

さらに台本を忠実に描き、壮大な交響曲的に仕上げられていた音楽は、当時の聴衆にはちょっと難しかったというのが
その要因だとも言われています。

 

が、そうではなかったようで

当時のバレエの演目は、ダンサーたちが好き勝手に自分の得意な踊りを披露するということが日常的に行われていた為、
この『白鳥の湖』も同様、ダンサーたちは自分の見せ場を盛り込んだ踊りを挟み込んだそう。
つまり音楽の一貫性に欠けていたんです。

そして主役を踊ったポリーナ・カルパコワはすでに全盛期を過ぎていたということもあり、
イマイチ盛り上がりに欠けてしまったのだとも思います。

ボリショイ劇場特別展示室より エフゲニー・オネーギン特集

 

ちなみに

当時はバレエ音楽=二流というように、バレエ音楽を手がける音楽家は少し下にも見られていたこともありました。

何故かというと、演出家やダンサーの意思で曲をカットしたり短縮するように注文されたりし、
それに合わせて作り替えたり調整することを要求されたからです。

 

つまり 曲<踊り と考えられていたんですね。

 

なので簡単に作曲家の意図を無視してしまうので(そもそも意思を持たないようにしていたかも知れませんが)
何かを生み出したいと考えている作曲家としては欲求不満に陥ってしまうのは想像に難しくありません。

言われた通りに作曲することを得意とする人なら別なんでしょうね。
相手の意図を汲み取るいう能力も、それもまたイマジネーションがいるものですし。

 

1877年当時のポスター(クリックするとinstagram mavita_bolshoiに飛びます)

 

しかしチャイコフスキーはもともとバレエ自体を愛していたようで、
『白鳥の湖』の作曲を劇場から依頼を受けた時は名誉に感じたでしょうし、自分なりの壮大な構想を練ったのだと思います。

 

しかし、残念ながらこの作品は評価されませんでした。

 

その後場所は移り、サンクトペテルブルグへ

 

当時の帝室マリンスキー劇場のウセヴィロジュスキー監督は1890年にマリウス・プティパ振り付け、チャイコフスキー作曲での『眠りの森の美女』を成功させ、

更に1892年には現在ではクリスマスの風物詩『くるみ割り人形』も作曲依頼をし好評を得た後、

1895年、『白鳥の湖』の再演(蘇演)を成功させます(!)

 

(三大バレエの誕生をこんなカンタンに段飛ばしのように書いて良いのでしょうか。笑^^;)

 

段階を踏んで・踏んで、再演に至らせた。彼はこのバレエの可能性を諦めなかったんですね。

 

ウセヴィロジェスキー監督が、プティパの振付家としての才能と、またチャイコフスキーの音楽性を信頼し諦めなかったからこそ、現代にまで続くこの三大バレエが続いている ということですね。

 

ただ1893年に、その上演を待たずチャイコフスキーは亡くなってしまいます。

1906年のオデット(白鳥)の写真

その後様々な振付家や演出家によって手が加えられながら、現在もこの1895年に大成功を収めたプティパ版をベースにした『白鳥の湖』が世界中で上演されています。

1976年 セメニャカのオデット

誰もが聞いたことのある物悲しいようなオーボエの旋律のこの作品は

もし、プティパがフランスからロシアに渡っていなかったら

もし、ウセヴィロジュスキーが監督官になっていなかったら

もし、劇場のトップが保守的で不評を恐れてお蔵入りにしていたら・・・

といろんなことが歴史の時間の中で織り合わさったからこそ、作品が世に残ることになったんですね。

ヴィルサラーゼの背景画。白鳥の湖3幕

 

そう思うとどの時代も才能を引っ張り上げる「誰か」がいるものです。

そしていつの世も創り上げる人たちの尽力あってこそ物事って成し遂げられていますね。

 

1877年のポスターを眺めながら、そんなことに思いを馳せてしまいました。

 

*こちらは道化師で岩田守弘さんが出演されています。2002年のボリショイ劇場が改修前に入る時の映像です*

 

『白鳥の湖』に関してはまだまだ沢山ネタがあるので、これから色々アップしていきます♪

instagramのmavita_bolshoiの方も併せて覗いてみてください。