今日は国際婦人デー🌷

ロシアではバシモイマルタと呼ばれる祝日です。

金曜日から、花束を持った男女で街中溢れています😃

私も女の子〜💐

 

今日は言葉と文化のお話を。

 

ネットが主流となった現代において、
〈どこに住んでいるか〉というのは案外関係なくなってきている昨今。

 

選ぶ職種によってはパソコンや携帯があれば、世界のどこにいても仕事は可能になっているし
ぶっちゃけ旅先でも移動中でもネットで仕事が可能って、どんだけ忙しいのだ?と思うけれど

仕事を仕事だと思っていない人も多く、なんとなく、趣味と仕事の境界線が薄れている人が増えているのも確かで。

 

「自分にできることをする・やりたい」という感覚が少しずつ少しずつ、
しかし確実にじわじわ人々の意識と行動に浸透しているのを肌で感じます。

 

しかし、やはりお国が違えば事情が違い、普段の日常生活やビジネスもその国によって違いがあるのは当然です。

だって気候も、風習も、習慣も、人々の意識も、つくられ方が全く違うので。

 

「なんでこうなんだ」「なんでこれが分からないんだ」「どうしてそうなるんだ」

 

なんてイライラしても

相手には全く通じません。そりゃ当然のこと。

 

なんでこんなに理不尽なんだ!と感じているのは

今までの思い込みと自分の文化圏の中で刷り込まれた自分の中の蓄積の問題であり
その国の人たちを責めることでは全くない。

 

むしろ責めること自体が傲慢な行為なんですよね。
「私視野が狭いんです!」って自分の評価と品性を下げているだけ。

 

だって、言葉が違うのですから。

 

言葉が違うのは、文化が異なるから。そんなの当たり前のことだったんだなと
我が身を振り返ってみても実感します。

 

 

生活の面でも、手に入らない食材、日用品、また逆にその国でしか買えないものもあり
そういったちょっとした不足が常に付きまといます。

しかし、

 

なければないで、どうにかなるのも日常で。

 

あれば便利だけれど、なければないで他で代用したり工夫したりとアイディアが生まれます。

 

そして「ある」ことに感謝の念が湧く。
これは真理だと思います。

 

何より言葉というものは、勉強すれば頭に入りますが、
それを自分の日常の動作や思考に落とし込んで使うのはまた事情が違ってきます。

 

つまり、言葉が人間の思考を作り、その思考が文化を生み出しているということですね。

 

だからこそ自国の国語を大事にするということは、とても重要ですし必須事項なのだと思います。
言葉を大事にすることが考える力をつけ、文化を守る基盤になると言うか。

 

 

 

さて、

外国で暮らすことは自分の国以外なのだから、その国に住まわせてもらっているお客さんです。

事情も違って当たり前で、日本と比べることはナンセンス。

 

勿論大変なことや理不尽な思いをすることもたっっっっくさんありますが

むしろその違いを俯瞰して楽しめるようになれると、見える世界も感じ方も変わります。

 

ビジネスのチャンスも、文化交流の面白さも実はこういった「差」の部分に転がっているのだし、

そんなものかと受け止める自分の器を作ることの方が先決なのです。

 

instagramにもアップしましたが(クリックするとページへ飛びます)このリボンは嫌だったのでしょう。ムスッとしているミーのような表情がたまりません…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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総合芸術としてのバレエ

舞台というものは演者たちだけでは成り立ちません。裏舞台で支えている多くの人々の尽力あってこそ表舞台がより引き立ちます。
建築・歴史・哲学・文学・音楽・美術・デザイン・踊り・歌、全てを包括しているのが劇場芸術です。
生活の中で芸術はなくても良いものかも知れません。しかしあるとより豊かになるものだと私は考えます。 人でしか紡ぐことの出来ない伝統の世界。色んな角度から眺めてみると、きっと新しい発見があるはずです。

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