人生あれこれ

おじいちゃんとのこと

1日の内にころころお天気が変わる毎日ですが、モスクワは1年でいちばん良い季節となりました。

近所の公園。一気に緑が芽吹きわさわさしております

近所の公園。一気に緑が芽吹きわさわさしております

最近、同じ階に住んでいるご近所のおじいちゃんが亡くなってしまいました。
81歳だったそうです。

バレエ学校を卒業して日本へ帰国し、その後モスクワに戻ってきて5年が経ちましたが、その時に見付けたアパートで今でも暮らしています。最近向かいの家に引っ越す微妙な移動はあったのですが、同じ場所です。
以前の大家さんのおばあちゃんも「ザ・ソ連人」の好い人だったのですが、彼女も私が越してきて2年目に亡くなってしまいました。84歳だったので大往生です。検査入院した時に何となく心配になってお見舞いに会いに行ったのですが、その10日後くらいに肺炎か何かをこじらせて亡くなりました。(病院の衛生環境が悪かったせいだと私は思います。現在でもロシアの病院、特に国立で無料の所は不衛生なところが多いのが現状です)

 

さて、アパートに住み始めたある日、階段の踊り場にある共同ゴミ捨て場で(ロシアのアパートは階段の間や共同廊下に住民が家庭ゴミを捨てられる上階から1階まで届くゴミ捨て場があります)たばこを吸っているそのおじいちゃんとはじめて会ったとき、

「お、あんたは中国人か?日本人か?」
と聞かれ
「日本人だよ」
と言うとそーかそーかとふんふんうなずき、それからささやかな交流が始まりました。

といっても、いつもこの踊り場でたばこを吸っているおじいちゃんに会うとこんにちはと挨拶する程度。おじいちゃんはというと、いつも片手を上げてにやーと笑って返してくれました。

一番印象に残っているおじいちゃんの言葉があります。

 

バックステージツアーがある日に家を出て階段を下りようとしたときにおじいちゃんがいて、私に気がつき

「Трудиться?」(トゥルジーッツァ) 働くのか?/労働か?

と聞いてきました。

普通は「на работу?」(ナ ラボ−トゥ)「仕事へ行くの?」とか「работа?」(ラボータ)「仕事?」と尋ねるのに慣れていたため、この「Трудиться?」(トゥルジーッツァ)はあまり聞くことがなかったので一瞬ぽかんとしてしまいました。
その後何だかとてもとてもソ連を感じて、じわじわ面白くなってしまいました。
*元々труд(トゥルート)というのが「仕事/労働」という意味になります。

ちなみにこの「Трудиться?」(トゥルジーッツァ)は仕事という「働く」という概念に対して「労働する」というニュアンスがある単語で、何となく私の中ではこの言葉はソ連の「労働」というイメージがあります。あと懸命に働くという感じもします。(あくまでもイメージなのですが)今の若い人たちは普段あまり使わないので、殆ど会話で聞いたことがなくとても新鮮な響きでした。

ちなみにロシア人の方から聞いた話、現在でもロシアの学校では《занятие труда/もしくはпо труду》(ザニャーチエ トゥルダー/パ トゥルドゥー)という所謂工作や家庭科の授業のようなものがあるそうです。男の子は木を削って何か作ったり、女の子は裁縫をしたり等々。その名称もやはり「労働の授業」なんですね。つまり労働の基礎を学ぶ授業。
当たり前のことですが、家庭科や工作の授業って正にそうなんですね。ものづくりの原点でもあります。この話をしながら改めて気付かされました。

えっと・・・私は遊ぶのが仕事、のはず?

えっと、、私は遊ぶのが仕事・・・だよ?

話は逸れましたが・・・

世代ごとに流行の言葉や共通意識のようなものが少しずつ違うのはどこの国でも同じですね、「今時の若いもんは・・・」というのは古代ギリシアの頃から言われていたと聞きますし。
おじいちゃんやおばあちゃんともっと交流して、古き良き習慣やホスピタリティなどを学ぶことも大事だよなぁと思います。ワガママで偏屈になっているお年寄りもいますが、身体が思うように動かなかったり、ちょっとの動作でも思った以上にしんどい思いをしたりしているとイライラすることもあるんじゃないかなと思います。
自分が年をとってみないと分からない感覚ですが、相手の立ち位置に立って、思いを巡らせて優しく見守ることは私たちにも出来ることだと思います。

熊でさえおばあさんに席を譲るのです

熊でさえおばあさんに席を譲るのです

例のおじいちゃんが犬の散歩をしているのもたまに見かけたのですが(その犬も多少お年寄りでしたが)犬の方がちゃんと分かって歩調を合わしていました。お互いに無理のないお散歩の、てくてくのんびり歩いていた姿をもう見かけることはないんですね。

改めてソ連時代に青春を生きたおじいちゃんだったんだなぁとしみじみ思いました。
色んな困難も「そんなもんさ」と乗り切って強く生きたのだろうなと。

挨拶出来る人を亡くすって、やっぱりお別れって寂しいです。
モスクワでの生活の中の一部だった些細な触れあい。

おじいちゃんのご冥福をお祈りします。

京都 ② ギャラリーひたむき・亀屋良永

昨日に引き続き今日も京都の話題を。

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寒椿 by 亀屋良永

京都って美しいなぁと改めて感じたものがこちら。亀屋良永の季節の和菓子。

学生時代、大学の教授に紹介され寺町御池にあるギャラリー直向(ひたむき)というギャラリーずっとバイトをしており、結局卒業するまでお世話になりました。ここは京都の作家さんのものは勿論、萩焼や信楽などの器から南部鉄器や琉球ガラスまで、全国各地の作家さんの魂のこもった作品を扱っていたお店です。

残念ながら火曜日はお休みでしたが

残念ながら火曜日はお休みでしたが入り口をパチリ

秋田の伝統工芸品でもある曲げわっぱのお弁当箱を「いつか買うぞ!」と思いつつ、結局買えず仕舞いだったのが心残りです(笑)

2段も魅力的ですが、小判方の小さいのもやはり欲しい。。。

二段も勿論魅力的ですが、一段のシンプルな小判型のものは使いやすいと思います。

やはりこのおひつはいつかゲットします!

このおひつはいつかゲットしたい!お米が一層美味しくなりそうです。

 

・・・話は逸れましたが・・・

このギャラリーで訪れたお客さんにお出ししていたお茶菓子で良く利用していたのが亀屋良永の季節の和菓子でした。

御所からぶらぶら南に下って来て(*京都の街は碁盤の目状になっているので「上がる」「下がる」「入る」など、住所がちょっと独特な言い方をします)懐かしくなってぶらりと入ってショーケースを覗いた瞬間、あぁ・・・と、ため息ものでした。
京都の和菓子の美しさはどこにも敵わないと思います。細やかさ、風流、そういった言葉がぴったりの和菓子たち。特に季節の生菓子は四季を慈しむ日本人ならではの感性が色濃く反映されています。
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「写真撮っても良いですか?」とお店の方に尋ねると、快く承諾してくれました。
奥の長椅子に座って新聞を読んでいた、きっと店主であろうお爺様が、にこにここちらを見ているのが印象的でした。

つややか

らくがんのほっこりしたフォルム、飴のつややかな曲線。美しいものって、何故こんなに人の心をすっとさせるのでしょうか。

この梅だよりも良くお客様にお出ししていました

ライトが反射してしまっていますが^^;この真ん中の“梅だより”もお客様にお出ししていました

ミニマリズムでごちゃごちゃしている感じもありますが、ごちゃっとしている中にも規律があり、実はとても機能的だったり相手に対しての思いやりがあったり。日本って本当に気遣いに溢れている場所ですね。

しかしいくら日本人だからと言っても、気持ちに余裕がないと人に対して優しくなれないのも現実。自分さえ良ければ良いという空気を纏っている人に東京の街ではあちこちで出くわしました。メガロポリスで多忙なビジネス街であれば世界中どこも同じような感じかも知れませんが、何かに追われ自分の足がどこに着いているのか分からない感覚は、とても気持ちを不安定にさせますね。
迷いや不安がない人なんていないと思いますが、将来の不安やお金の心配、他人と自分との比較、情報の多さによって更に不安を煽られ、今何をして良いのか分からないやるせなさ・・・等々 何だか溺れてしまいそうな雰囲気があるように思います。

それに比べ、ロシア人の「今さえ楽しければ良い!」という刹那的な生き方を見ていると、日本人の余りにも内向きな状況が心配になります。勿論今さえ良ければと余りにも無計画なのもどうかと思いますが、国が崩壊したり国一番の銀行が潰れたり日本では想像も出来ないようなことがとんとんとんと起こっているこの国では、ちょっとやそっとの事では皆動じなくなっているんですね。今もルーブルがどんどん落ち続けています^^; しかし

「まぁ、なんとかなるさ」

これがこの国の人たちの口癖です。

何とかなりますが、何か?

何とかなりますが、何か?

ロシアもここ数年で驚くほど変化しており、機能的になって生活が便利になってきているとは思います。そしてロシア人の生活スタイルも随分と変わってきて「良さ・らしさ」が失われている場面に出くわすとガッカリすることもありますが、何となく、そのスピードの早さについて行けていない場面もあちこちで見かけます。しかし「それで何が悪い」と堂々としている彼らのふてぶてしさには「あーあ」と思う反面好感も持てます。笑

便利さを追求して、スピード重視のサービスが極限まで達している日本。便利なのは勿論有難い事ですが、人の感情はそう簡単に便利にスピーディに処理出来るものではないと私は思います。ロシアでも同様、便利になってはいるけれど何となくぎこちない人たちを見ていると、人間という生き物はちょっとやそっとでは変わらないのに、周りがどんどん変わったように思えて埋もれそうになっているような、そんな焦りに似た感覚を覚えます。

 

さて、京都の和菓子を買って、るんるんご機嫌で寺町通りを下った私は、知人に勧められたはんこ屋さんにも入店。(こちらで購入したものは、また後日ご紹介します♪)

目で楽しみ味わって楽しめる和菓子の魅力は、言葉では言い表せない程贅沢な楽しみだと思います。
歴代の職人さん達の技と日本人ならではの感性、そして移ろいゆく四季との融合。
日本人って本当に繊細で、たおやかな感性を持っているなと誇りに思います。

忙しい日常の中でほんの束の間、大好きなお茶やコーヒーを存分に楽しむ時間を持つのはとても大切なことだなと思います。ここにいること、味わうこと、自分が疲れていたこと、そういったことに気がつける、自分に戻れる時間。

そんなひとときに、四季を感じるお菓子がお供してくれるって、美味しい以上の何かがありますね。

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何だか笑っているような寒椿・・・

白あんのやさしい甘さに思わずほっこり。日本の美を味わいました。