人生あれこれ

京都 ①

一時帰国を終えモスクワへ戻ってきました。
今回用事があって2度京都を訪れたのですが、やはり大好きな場所だと改めて感じました。

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お気に入りの喫茶店『フランソワ』へ

私にとって4年間の大学生活は、バレエのない、追われることのない(追い詰める必要のない)穏やかな時間でした。
好きな授業を時間の許す限り聴講出来るって、なんて恵まれた時間なのだと、在学中もしみじみ思いながら過ごしていたのを覚えています。
25歳で学生になると、訳が分からず単位を取るために授業を受けるのではなく、勉強出来ることの面白さが分かって良かったなと思います。
しかし入学式ではサークルのビラを貰えず、一瞬配られても顔を見て「すみません!」と引っ込められ(25歳は院生もしくは博士課程くらいの年齢ですし、18・19歳の高校卒業後の学生さんからすると、大人だなと勝手に思われていただろうな〜と思います。笑)一抹の不安を覚えましたが、関西人の人なつっこさ、そして美学芸術学科という変わり者?が集まる学科のお陰様で、年の違う私のことも快く受け入れてくれる仲間に巡り合えました。
その仲間とも出会って来年で10年。本当に時間が経つのが早いなと改めて思います。

毎朝散歩していた御所にも訪れ、気持ちを落ち着かせてくれていた白雲神社でもお参り。
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「美しい御所の松の木に、私は恋に落ちました」と目を潤ませて話していたウクライナ人の友人の言葉を思い出します。
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庭師さんが作業中でした

作業中の庭師さんたち

京都の底冷えは相変わらずでしたが、お天気にも恵まれお散歩を満喫♪ 梅の花も少し顔を見せてくれていました。
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1月から4月にかけて、梅→桃→桜と季節の移ろいを楽しませてくれる御所。贅沢な時間を過ごさせて貰っていたことに思いを馳せます。

中学卒業後からずっとバレエ漬けの毎日で、8年以上勉強から離れていた私は「試験勉強とはなんぞや?」という位さっぱり勉強というものを忘れていました。しかしすっぱりバレエ団を退団していたこともあり、後戻り出来ず・・・
一心不乱に大検(高等学校卒業程度認定試験)の勉強に打ち込み半年で全科目習得。←これは体力で乗り切ったと言っても過言ではありません。
その後本格的に大学受験勉強が始まり愕然としました。受験がいかに大変かを知っていたら、私はきっと挑戦出来なかったと思います。“知らぬが仏”とは良く言ったもので、正に知らなかったからこそ飛び込めた世界でした。

バレエを辞めると宣言したときに「中卒のお前なんかどこの企業も採用しない。仕事何すんねん?」と兄にばっさり切られた時は、良く分かっていませんでしたが、受験勉強を始めてみて「学歴」というものをいかに社会が重視しているかを痛感しました。そのひりひりした感じは今でも好きではありませんし学歴に甘んじている人を見ると虫唾が走りますが、世間や自分を含め、人は良くも悪くもそこで評価する未熟さがありますね。

そんなこんなで大学へ入る前のこの2年間はバレエとはまた全く違うプレッシャーがあり、踊ってしまえたら・・・!と机をひっくり返したかったことが何度もありました。笑

そして勉強以外でも私の人生をひっくり返すほど大変なことがあり、考えないようにするために益々受験勉強にのめり込んだ私は一時期身体を壊して入院。丁度バレエを止めて1年後、踊らないことに身体が限界になり、我慢出来なくなっていたことも重なったのだと思います。

しかし全てはちゃんと時間が癒してくれるものです。

一生懸命頑張っていたら、目の前にあることとこつこつ向き合っていたら、きっとちゃんと次に繋がるようになるんです。

そして京都に拾って貰え、晴れて大学生になり、有意義としか言えない時間をゆったり過ごさせて貰いました。
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「学生さん」と立場が守られ、自分の為に使える時間がたっぷりあり、自由を謳歌出来る大学生。
バイト三昧も良し、部活やサークルに熱を注ぐも良し、一歩大人になった恋愛も、何もかも自己責任。
“皆一緒”というひとくくりから抜け出す準備期間で、群れから離れるにもとても良い機会です。
必要だと感じる勉強が出来、その知識を一生活かせるよう自分の人生を豊かにする種まきが出来るのもこの時期。

そんな贅沢な時間を、これから大学生になる高校生には思い切り楽しんで貰いたい。
否応なく過ぎていく時間が、ほんの束の間区切られるひととき。

自分の為に大切に過ごして欲しいと思います。

 

モノが壊れる時

モノが壊れる時が続いたことはありませんか?

私は昔、バレエ団を辞めて大検(高校卒業程度認定試験)の勉強をしている時から受験勉強中、どんどん立て続けに家電が壊れたことがありました。

洗濯機、電子レンジ、パソコン、コーヒーメーカーに電球が切れやすい、等々

自分から何か負のオーラでも出ているのか?とがっくりした覚えがあります。
(多分その通りで、相当追い詰められていたのだと思いますが)
洗濯機は気がついたら廊下中水浸しになっていたので夜な夜な拭き掃除をしました。

こういうのって、もしかしたら自分の身代わりになってくれているのかも知れません。
何か自分自身に起こることを、代わりにモノが受けてくれているというか。

昨年末も何だか続きました。
ちっぽけなことかも知れませんが、4年前にチェコで買ってからずっと毎日愛用していたお気に入りのマグカップを、朝コーヒーを煎れようと思って棚から出して置こうとした瞬間、一瞬手首の力が抜けて、まるで卵を割るかの様に机にゴンっとたたき付けてしまったんです。

ピシっというか、キユーン、というか、陶器に空気が入るみたいな音がしたような気が・・・

その予感は的中。見事に真っ直ぐのヒビが入っていました。
とにかくもの凄くショック。

さよならの前に、もふもふと

さよならの前に、もけもけと

この数日前に、1年くらい前に思い切ってえいっ!と買った時計をなくしてショックだったのですが、マグカップは時計よりも大きな打撃を受けました。大事なものって値段ではないのですね。
更にこの日の夜、いつもの定位置にあって、置いているのが分かっているはずのふぁーにゃのごはんの器も、何故だかすこーんと気持ち良く蹴っ飛ばしてしまい、破損。

驚いてわしっと床を踏みしめ、目をまん丸にして私を見上げていたふぁーにゃの姿がとても不憫でした。

注意力散漫と言ってしまえばその通りなのですが、何だか不思議な感じです。
いつも通りのことをしていたのに、何故だか力加減や感覚がずれる。ちょっと気持ちが途切れた瞬間、落としてしまったり壊したり、割ってしまったり・・・

しかしモノが壊れる時は、役割を終えた時。感謝して手放す時なんですね。
しっかり御礼を込めてさよならすれば良いのだと思います。そしたらきっとまた新しい出会いがやってきます。それに自分にとって大事なものを知るきっかけになってくれたりします。

民芸運動を始動した柳宗悦は、生活の中のものに美が宿るのだと、日常に使うものの美を見出しました。伝統工芸品でなくても自分が気に入って毎日使っているものって、やはり味が出てくるものです。

好きなものを慈しみながら毎日使って、日常に寄り添ってくれるものを大切にする。そうやって毎日を大事に過ごしていきたいなと思います。

年末、私だけでなくふぁーにゃもやらかしていました。ひっそり様子を見るの図

年末は私だけでなくふぁーにゃもやらかしていました。ひっそり様子を見るの図。どきどき